永遠へのプロモーション

この文章は、「世界の終り」で配布されているゴースト「伊丹」への二次創作です。

死者が出ます。そういった展開の苦手な方はご注意ください。







 その時も雨が降っていた。時刻もわからなくなるような、薄暗さの。
 彼女の墓を、なんとはなしに訪ねて――それは"伊丹京介"にとって特別な行いではない――彼と出くわした。彼は傘を差すでもなく、何かを両手に包んでいた。まるで、虫でも捕らえたかのような格好で。僕は何故と尋ねた。
「あげられるものをな、見つけたんだよ」
 その掌の中に?
「いや……、まあ、同じようなものなんだがな」
 彼は手を開いて見せた。僕にではなく、彼女に。彼女がそこに居るだなんて、僕も彼も、思ってはいなかったけれど。成人男性の掌なら、納まってしまって後ろからは見えないぐらいの"それ"を、彼は自身の口へ放り込み、少しむせながら、飲み下した。そして、彼は笑ったのだ。己を嘲るでない、他の何かの情動で。
 それらの様を、僕は見ていた。見つめていた。ずっとそうしてきたように。
 僕の横を通り過ぎて、墓所から去るであろう彼に、僕は、傘は要るかい、と尋ねた。僕の持っていたものを差し出しながら。要らねえよ、と彼は応えた。

 それが最後の会話になった。


 伊丹京介は、35歳で、その人生を、自ら終えた。


 止められたかどうかとか、そういう事柄について、僕は、語る術を持たない。
 "それ"はもう、喪われてしまったのだから。


 彼の居室だった部屋を、なんとはなしに訪ねた。換気がされていなかったせいか、ヤニ臭い。文房具や紙くずなどが散乱しているデスクの上に、乱雑に空けられた空間があって、そこに綺麗な――使用感のない――小さなチェスセットがあった。ゴミ箱に、チェスセットが入っていたらしき箱が押し込められていたのを見つける。生ゴミより上にあるから、このチェスセットは、新しいもので間違いないだろう。チェスセットの盤上は、対局中であるかのように駒が配置されていた。あまり詳しくはないが、駒が足りない気がする。数えると、足りない駒はふたつ。白のポーンと、黒のキング。
 少しの間考えて――合点がいった。
 白のポーンが昇格して、黒のキングに王手をかけた。チェスに濃淡以外の色の規定は無い。
 ――鏡の国の。あの物語は、チェスのルールに沿って進む。その中に、世界は赤の王の見ている夢で、王が目覚めれば、"彼女"を含めた何もかもが消える、というくだりがある。やがて彼女は目覚め、夢は終わる。ならば世界は、彼女の夢と王の夢、どちらだったのか? 真実は、物語には書かれていない。
 しかし、だからきっと彼は、永遠の眠りに就いた。真実を裡に飲んで。

 だから僕は、もう、語る術を持っていない。

 だから――だから、ねえ、それが何に為るって言うんだよ、伊丹京介。
 永遠は、彼女の死すら帳消しにする?
 あの作家だって、幸せな日々の終わりを見たっていうのに!


 部屋を出て扉を閉じ、鍵を掛けた。
 階段を少し下って、踊り場の手前で踏み板に腰掛ける。
 雨が降り始めていた。時刻もわからなくなるような、薄暗さの。

【了】

2015年6月19日 初出

2015年10月18日 サイト掲載