時々わからなくなる。
自分が今何をしているのか、何をしたいのか。
奏太はいるのにもういなくて、それなら何が正しくて何が真実でなんでみんな生きてるの?
気の迷いだ。疲れてるだけだ。
実際、寝て起きれば治ってしまう。
……寝られれば。
目をつぶって10分ほど経つと諦めが勝った。廊下のむこうからの怒鳴り声がやまないのだ。
僕は二段ベッドの上段から、そろりそろりとはしごを降りる。
「無駄だと思うよ」
下段から聞こえた声に、はしごを踏み外しかけたのを踏みとどまって、
「……起きてたの?」
僕は小声で応える。動揺を悟られないように。
「お前と同じ理由でね」
下段の主は背を向けたまま言った。むかつくけれど、好都合だ。今の僕の顔を見られたら、ちょっと面倒なことになるだろうから。
「それはよかったね。っていうか無駄って何が」
「ラジオでも貸そうか。ヘッドフォンとかは無いけど」
「いい。いらない」
「そう。……ま、好きにしたら?」
「言われなくてもそうする」
会話が終わったことを確認すると、僕はすばやく廊下に出て自室の扉を閉めた。逃げるように。
リビングのドアの向こうから、パパとママの怒号が聞こえる。
(……夜も遅いのにご苦労さま)と、思ってもいないことをつぶやく。
止める気はない。それはもう諦めた。でも共用の自室に帰るのは論外。今あいつに何か言われたら、きっと僕は手を出してしまう。
だとしたら、他に行ける場所なんて浴室ぐらいだ。遮音性は高いけれど、明かりがつけられない。
「……仕方ないか」
どうでもいいけど。
僕は、仕方ないって言葉が、大っ嫌いだ。
**
浴室の明かりがつけられない、というのは、電灯を点けると中にいるのがバレバレだからであって、ペンライト程度なら大丈夫だった。
そして僕は今、脱衣所に隠していたペンライトを手に持って、浴室で椅子に座っている。
(……何をしているんだろう。何がしたいんだろう、僕は)
鼓動のペースは不思議なほど落ち着いているのに。
だめだ、これはだめだと自分で言い聞かせるが、止まらない。
もう、ここまでくると、体が勝手に動いてしまう。
自動的に。
パジャマの裾を捲り上げ、腿を露出させたら、カミソリを手に取り、横にすべらせる。
赤黒い血が、じわりとにじんでたらたらと落ちていく。
その鉄臭い匂いを嗅いでやっと、酸素が吸えたような気がした。
end
2012年4月28日